たぶんこれ
# by nashino | 2021-10-06 11:23 | 徒然(花)
たまの雑文でも良いかと思って書き出した。
終着点は決めていない。
特に隠しているわけではないけれど、高齢の親がいて、ここしばらく対応で忙しかった、いや、現在形で忙しい。
それで、その関連のことをnoteに日記として書いているのだが(このアカウントではない)、その日々の中で、直接的に親や介護のことではなく感じた一部のことを、ただの日記、一応エッセイとして放っておこうと思った。
なんの飾り気もない日記サイトのようなものはほぼ滅びた。
ひとつ良さげかなと思ったものはなんとシンプルすぎて140文字制限だった、この基準はTwitterからかと感慨を抱く。
晴れていた。
今日は暑かった。
車のギアをドライブに入れるのは良い。
アクセルとブレーキはまだ残っている。
が、左足で踏むペダルがなかったり、パーキングブレーキをバーを引くように左手で引く重みがなくなったことに、半年を過ぎたいまでも慣れない。
若いとき、最初に買った車は、窓は手回しのハンドルで開けていた。
今の二十代に電動で開かない窓が普通だったと言ったら信じてもらえるだろうか。
わずかずつ日常の風景が変わる。
都市部ほど多かった電柱と電線は、いつしか中心に近いほど埋設されて、大量の電線こそが田舎の象徴のように認識されるようになったのは平成に入ってからだったろうか。
これを言い出したのは、ここ十年、特に地元に戻ってきて、ごく普通に路肩に、空き地に生える「雑草」の植生が顕著に変わったと感じるからだ。
特定外来生物という言葉がある。
自分が幼いころの風景と植物が、日本古来の物ではなかったことも既に知って、あれだけ繁茂していた背高泡立草が、いつのまにかススキにとって戻され、一進一退を繰り返して、そこにまた見慣れないキク科やイネ科の植物が入り込む。
変化していないように感じるのは、それは我々の日常バイアスの為せる技で、私の若い頃にはスマートフォンどころか、携帯電話も普及しておらず、コンピューターも、まだ映画で壁面一面のサイズがある代物が描写されていたのが、今は小さな板でかなりなことができる時代になって、それが当然の多くの人が感じられる時代になった。
1970年代後半、オイルショックが来て高度経済成長は終わっていたと称されるがまだ日本経済は上り調子で、物流が行き交っていた時代、小学校に上がったばかりの私は、自分の背丈よりも高い背高泡立草が、住宅街の空き地に丈高く聳え、けぶるほど花粉を撒き散らしているのを恐ろしい光景として記憶している。
当時、私の周囲では、その背高泡立草の花粉を吸い込むと喘息になると信じられていた。
今、近所の空き地には、その背高泡立草よりも花が小さく、そばを歩くと重い花粉をぶわりと撒き散らす花が咲いている。
写真のフォルダに、それは撮っていなかったが、イネ科の見慣れない方の写真はあった。
これは私が幼少期見慣れた「雑草」とは違う。
変容が一概に悪と言っているのではない。
慣れ親しんだからと言って愛でている白詰草も秋桜も、元を辿れば意外と浅い時代の外来種だ。
背高泡立草が、原生種が生育している地域ではゴールデンロッドと呼ばれ、ハーブとして使われることもあることを先日知った。
あの当時、恐ろしい勢いで日本中を席巻し、土壌の栄養分を吸い尽くし、毒を巻いて他の植物を枯死させ、喘息を呼ぶ(これは誤解であるらしい)と恐れられた背高泡立草が、ゴールデンロッドで、ハーブ。
これこそ、ところ変われば品変わる実例だとも思った。
変容は起こる。
そして変わらないこともある。
ただ、ほんのわずかに記憶の片隅に眠っていた記憶を掘り起こすようなものを見つけたときには時折書き残しておこうと思う。
# by nashino | 2021-10-03 09:15 | 雑感(その他)
仮想現実と現実の齟齬(ネット徒然)
2004-01-19
思うのだが、現実世界の情報量を全てヴァーチャルに取り込むことは現代会では到底できない。ゲームであったりシュミレーションが面白いのはそれが現実のあるファクターを取り出し強調した姿で配置しているからであって、ゲームが現実そのものを体現しているからではない。それで表される物は象徴あるいは部分に過ぎず全てではない。それを現実ではなく仮想現実の比重が大きい環境で育ち、幼少期にゲーム等で行動機制を学習することになると、現実との乖離、違和感が大きくなるのはあり得る話だと思う。現実と仮想現実は違う。
これから社会が進み、携帯とウェブが一般化したほど仮想現実の情報量が現実に近くなればその距離は縮まるのだろうかそれとも乖離は永遠なのだろうか。ゲームの中に精神ごと入り込んでプレイする、と言う物語が昨今多い。あれは夢物語だったが実のところそれが実現することもいつかはあり得るのではないかと私は思っている。今のパソコンだって携帯だって20年前には夢物語だった。
しかしそんな時代を、今の倫理観とは全く違った倫理観と行動機制で律されそうなそんな世界を、私は生きてこの目で見てみたいという気も拭えない。見知らぬ異形に成り果てるかも知れないこの世界の行方が私は知りたい。
気分を変えて、というわけではないが、旧い日記を眺めていたら、エッセイとしてこの文章を見つけた。
実のところ、インターネットという媒体で日記らしいものをつけ始めたのは1998年ころまで遡るのだが、一度、2000年を超えてしばらくしたころにブログが隆盛して、ホームページだのなんだのは鯖と共にネットの海の藻屑と消えた。ふらふらと複数を行ったり来たりしていたが、今に至るまでデータが残っているものは少ない。
noteに上げまくっている詩は、案外とそのころ書いたものが多い、というか、他にもあったのだが、残っていれば多分文庫本五冊くらいにはなっただろう小説や、その他の雑文は大体沈んだ。
まあそれはいい。
デジタルタトゥーなどという言葉はなかった。
主流になれるほど社交的でも意識が高くもなかったが、残ったものを見て、苔の生えた老人のように(実際そのうち老人に足を突っ込む)、後生大事にこの辺に、誰かがふと目にするといいと思って、適当に刻んで歩いている。
エッセイに関しては、30代の自分が書いたことだが、驚くほど代わり映えがしない。
似たようなことは今現在リアルタイムで思っているが一点修正を入れたい気分もある。
技術の進歩が早い。
思った以上に、思った以上のスピードで、思った水準以上の情報量が、昔のデスクトップパソコン、さらに言えば壁一面のスーパーコンピューターのイメージの性能以上の能力で処理される時代がきていて、心躍らせてもいる。
我々が幼いころ、子供向けの科学雑誌で見た、月に植民基地が出来、宇宙旅行が一般化している時代は到来していないけれど(そういう未来予想図は何故かいつもつるりとした銀色の服を着ていた)、それ以上の洗練された外見と性能で、時代が変わりつつある。
パンデミックなんてものも来ているけれど、人類史では、大規模な大量破壊兵器投入の世界大戦よりも、疫病の方がよほど古い。粛々と対応するしかないのだが、今の状況からこのパンデミックで人類が絶滅するわけではないのは予測できる。
農耕が世界を変え、金属器が変え、活版印刷が、天文学が、産業革命が、医療が、肥料が、送電システムが、多くのものが世界を変えてきた。
そして電話が、ファックスが、インターネットが、携帯電話が、スマートフォンが世界をどう変容させていくのかやはり気になる。
やはりこれこそがセンス・オブ・ワンダー。
いつか、仮想と現実は、本当に融和する日が来るのだろうか。
変容する世界の行方を、生き延びられる長さの限り、眺め続けていたい。
# by nashino | 2021-09-12 11:20 | 雑感(その他)
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